放課後の国/西炯子

傑作でた!と読んでおもった。同じ学園ものの「STAY」を読んだ
ときには感じなかった懐かしさがあった。「STAY」もすごく好きなのだが、
「STAY」を全肯定したら、今後過去作品(「さよならジュリエット」以降含まず)
のような漫画を作者に期待してはいけないような気がしてさびしかった。
でも「放課後の国」にはそういうさびしさはなかった。それは「放課後の国」が
過去作品と同じ道のうえにある作品だからだとおもう。
1990年代の青春の答えはここにあったんだ!と勝手に納得してしまった。

続きは「放課後の国」「水が氷になるとき」「Teenage」のネタバレに
なるのでたたみます→

たとえば
「水が氷になるとき」のラストで「自分を軽蔑した顔」をした嶽野義人や、
「Teenage」のラストで急に道路に飛び出した主人公はその後どうなったのだろう?(大人に
なれたのか・幸せになれたのか)*1という疑問に、「放課後の国」は答えていると思う。
(同じキャラクターのその後が描かれているという意味じゃなくて。)
西炯子は短編の終わらせ方がすばらしいから、とくに続きを読みたいとは思っていなかったけど、
「放課後の国」を読んで、自分が長いこと答えを待っていたことに気づいた。
別れぎわ、勇気を出して声をかけたら、その声は必ず友達の背中にとどく。友達は引き返してきて、
そっと「社会の窓」を開けてくれる。*2

*1:嶽野義人のその後のお話はあるけれど、エンドマークはまだついていないようなきがする

*2:こう書いておきながら「STAY」と「放課後の国」のどこが具体的に違うのかよくわからない。単なるキャラの好みと、俯瞰の位置かも